小春日和に想うこと

 

秋の穏やかな日は、なんだか懐かしい気持ちになります。

青く高い空と稲わらの匂い

あっというまに落ちてゆく夕陽

そうしたものにふれると、ふと通り過ぎた記憶がよみがえります。

 

先日、老親に夕陽を見せたくて海岸へ行ってみました。

小春日和の中、ぼんやりと海を見ながら

「そういえばよく海に連れて来てもらったな…」と

小さな頃を思い出しました。

 

あのころの父はぐんぐん泳ぎ、たくましくボートを漕ぎ

海が怖い私には、スーパーマンに見えました。

浜茶屋で食べたカレーライスや買ってもらった浮き輪

大嫌いなシャワー。

はつらつとした両親とひ弱な私はもういないけれど

手を伸ばせば、すぐそこに届きそうなあの頃。

目の前の老いたふたりは、逆光の中に溶けてしまいそうにはかなく、

なんだか夢を見ているような気がしました。

 

「もしかすると生きているのも死んでいるのも、同じかもしれませんね」と

最近お父さんを亡くした社員の言葉を思い出しました。

生も死もそれは地続きで、記憶の中を自在に行き来できれば

亡くなっても生きていても、その人の存在は変わらない。

まなざしや声がふとした瞬間によみがえり

私を慈しんでくれたことや、共に過ごした時間が思い出され

勇気づけられる。

振り返ると、大事にしているものは形がないものばかり。

物だったとしても、大切なのはそれにまつわる記憶や年月。

 

「あれ? 何しに来たんだっけ」と昔のスーパーマン。

「夕陽を見に来たんだよ」

「ああ、そうだった!」と笑いあいながら

今この時も、次の瞬間には思い出となる不思議さを感じながら

ひとつでも思い出を残したい

それが宝物、と思う秋の日です。

 

by 浅野裕子